だいぶ前から怖いこと
だいぶ前から心の隅っこにいつもこんな思いがある。
大事な人がいつかいなくなってしまうのが怖いって思い。生粋のおばあちゃん子の私は、いつか必ずきてしまうおばあちゃんとの別れがだいぶ前からとても怖い。
昨日おばあちゃんから「保健師が家に来てこのままじゃ透析することになると言われた」と電話が来た。膝が痛いとか言ったり畑で転んだりとかしてるけど、これまで健康体だったからついにきたか、と心が重たくなった。
電話がずっと恐れていたことが現実になってしまう前兆みたいに感じられて不安になって色々調べたら、このYahoo!知恵袋見て泣いた。心境が私と同じで。そっけない態度をとっちゃうとことかね。
生まれた時からずっといるんだもん、これからもずっといるもんだと思っちゃうよ。でも自分も歳を取るし、おばあちゃんも歳を取る。そして人生には終わりがある。だから別れはあるんだけど。やっぱりまだピンときてない。
今日もう一度電話したら腎機能が著しく低下しているわけじゃなくて、ほっとくと透析になるよと言わば脅し文句のように言われたんだって。それ聞いてとりあえずは安心したけど。
孫の勝手な思いとしては、元気にずっと生きてて欲しい。寝たきりになって欲しくないし、重度の認知症になって欲しくない。延命治療は一切して欲しくない。でも優先するのはおばあちゃんの意思。延命治療を受けたいって言ったらそうするけど、性格的に言わなそう。
でもさ、まるっきり一人で生きてない限り、みんな大事な人との別れに向き合っていくんだよね。そんなの今から心がちぎれそうだけど。
どんな心のあり方でいたらいいのかな。怖いって思いたくないよ。
あるところには、死は通過点だって書いてあった。恐れることじゃないって。
こういうことも書いてあった。
木も新緑のときを経て紅葉のときを経て・・・やがて枯れていきます。
いのちはそうやって循環しているのです。
自然のサイクルとして観れば「死」は怖くもなく寂しいものでもなく「そういうもの」です。
いのちあるものは必ず終わりがあるのです。そういう見方をしていく練習をしてみてください。
だんだんものの捉え方が変わっていきます。自然の営みのなかでいのちは循環しています。
仕事では人の死に関わることがあるけど、だんだん気力がなくなって寝たきりになっていくのをしょうがないって思ってたところがあった。でも自分の大事な人で改めて考えると冷静じゃいられないね。受容の程度によるけど、家族はこんなにちぎれそうな気持ちになるんだって思うと、自分がもっと何かできないかなって思う。