一人暮らしごっこ

自宅は秘密基地

生きるが当たり前か、死が当たり前か

『あなたが何気なく過ごした今日は昨日死んだ人がどうしても生きたかった明日』
たまにみるこの言葉、最初に見たとき意味が分からなかった。旦那はいらないけど子供は欲しいって言葉と同じくらい分からない。何言ってだこいつと。私が過ごした今日とその人がどうしても生きたかった明日は別物だしなんか押し付けがましいしお涙頂戴感を感じてしまって苦手。
訃報を聞くとどうして今この人が亡くならなければならないんだろうと思う時がある。記憶に新しいのは小林麻央さん。
愛する子どもがいてこれからもっと一緒の時間を過ごすのにどうして今彼女なんだろう。そこは私でもいいのに。生きる理由がある彼女となんともない私の明日を交換したくなる。
でも私が逆の立場だったら、だったら変わってくれよって逆ギレしたくなる。偽善ぶってんじゃねーぞと。
そしてこの言葉を考えた人は愛する人を亡くしてどうしてこの人が亡くなってあの人が生きてるんだろうって憤りを感じて、日々を大切に生きて欲しいと思って言ったのかもしれない。
身近な人の死に直面して淡々としてるのは受け入れてるからじゃなく、実感してないからなんだよね。それをよく勘違いしてしまう。
死が来ることは怖いけど、生き続けるのも辛い。だから死が来てくれることは感謝すべきことだって意見もあって、はぁなるほどな〜って。そう思うと少し怖くなくなる。
人生に終わりがあると思うことで人生に張り合いが出る、死んでもあの世で生き続けると思うことで死が少し救われる。
その人の最期のときに関わる仕事をしてるんだって今更実感した今日です。

最高にブスだけど最高なブス

テレビで衝撃的なブスを見た。それも双子。
どうやらCHAIというガールズバンドのうちの二人らしい。
 例えば石原さとみとか北川景子とかガッキーとか。ぱっちり二重で鼻筋が通ってて肌が綺麗でスタイルが良くて。
昨今はそれらが絶対的に可愛くてそれをみんなが目指している感がある。一重はダメ、デブはダメ、鼻ぺちゃはダメ。まぁ肌は綺麗な方がいいね。
そこを目指して近づける人はいいけど、近づけない人は落ち込む。私はブスだから…と。
田舎から出てきてすぐの専門学生の頃、新宿駅を歩くと道ゆく人が全員美人だった。印象的だったのは肌が白くて綺麗ってことで、何を塗ったらそんなに綺麗になるんだろうって思ってた。圧倒的な己のブスさを自覚した。美人の順で彼氏ができるなら、あるいは結婚ができるなら私は一体何位なんだろうなんて考えた。どのくらい下の方にいるんだろうって。
”絶対的な可愛い”に近づけない自分はどんどんネガティブが膨らんでいった。終いにはエビちゃんが双子って事実だけで自分の存在価値をなくした。ブスが存在する意味が分からなかった。
そんなブスから見ると彼女たちは超かっこいい。そして気が楽になる。可愛いは一つじゃない、コンプレックスそのままのあなたが可愛いんだよって。これを美人が歌ったところで何も響かない。衝撃的なブスが歌ってるからこそ響く。
よく言ってくれたぞブス!よしいけブスー!!!ってなる。
彼女たちのインタビュー記事で自分たちは中の下だと思うなどと書かれていたが、そんなもんじゃない。下の下だ。少し高く見積もってるところや節々の自信が垣間見える発言になんだかモヤモヤと違和感。
でもそれは私の中にブスはくよくよしてなきゃいけないって意識があるからだって気づいた。
彼女たちも可愛いに近づけなくてコンプレックスに悩み心無い言葉を言われ存在価値が揺らいだことがあるんじゃないかと思う。でもその底から自分を肯定できるようになってNEOかわいく楽しく堂々と生きてることが羨ましい。
ほれちゃったって曲がMVも含めてとても素敵だったし好みだったしなんなら可愛く見えてくる。と思って静止画を見るとやっぱりきついけど。けどまた聴きたくなる。才能はブスを超えるようです。

たわごとにクソカッチン

「あなたが27歳になる頃、顔が良くて年収も良い優秀な男は青田買いされちゃってるから売れ残った男しか残ってないよ。」
今日職場のおばさんに言われた言葉です。さらに、
「○○(わたし)は結婚できないと思う」ですって。
ケツカッチンならぬクソカッチン。
結婚願望はそこまで強くない方だと思うけど、なんでそんなこと言われなきゃいけないの?
図星だからクソカッチン?それともやっぱり結婚願望がしっかりあるから否定されてクソカッチン?
確かにその傾向はあるのかもしれないけど、青田買いされるからって急いで婚活しなきゃとはならないし、そもそも結婚してる人がしてない人よりも優れてるみたいな前提で話してますけどそれは何?離婚する可能性だって十分あるのに。
これを言ってきたおばさんはバツ1再婚で、再婚後の方が幸せに暮らしてるのにどうしてそんなことが言えるんだろ?Why??
こういうこと言うおばばにはなりたくないね。ひとつ学んだぜ。
そんでもって私の真冬の恋はあっけなく終わりましたけど。本当に合わなかったんだなあと。来来来世くらいに今度はハッピーエンドな恋がしたいね。
ネガティブに考えることで予防線を張って傷ついた時にほらやっぱりねって落ち込みを軽減させる癖があったけど、それはべつに軽減してないらしい。予防線と実際に起こったのとで二重に傷つくらしい。だったらもうネガティブに考えるのやめるよ。
こうやってやなことがあったからって次必ず良いことが起こるとは限らないから油断せず行くよ。

乱高下 真冬の恋

今年に入ってから気分のムラがすごいです。FUJIYAMA級。乗ったことないけど。(正しくは乗れない)
これは全て色恋しているせいです。
ちょっとここで心の中を整理したい。
今一番問題なのは自分がどうしたいのか分からないこと。
今のこの関係はなんて言うんだろう?一歩手前で遊ばれてるのかしら?宙ぶらりんな関係だと思う。今のままは嫌だ。
ただもし付き合うことになってまた別れが来るのもやだ。同じ人に2回も失恋したくない。遠距離は私の心が耐えられそうにありません。会えないこともそうだけど、相手のことを疑ってしまうから。あとやっぱりできる彼と取り柄のない自分が釣り合わない、自信がない。周りには私より綺麗で知的で気遣いのできる人がたくさんいるよ。
今ここでフェードアウトすればモヤモヤしながらもダメージは少ない。
でも釣り合ってないことの何がいけないんだろ。また別れがくるかは付き合ってもいないのに分からない話よ。10年経ってお互い成長した今、付き合ってまた別れたら本当に合わなかったんだって思うかもしれない。別れが全て悪いことではないのかもしれない。
10年前の失恋が痛すぎていろいろと理由をつけて臆病になって逃げ腰なところはある。不安なんです。それでもいいよって言って欲しい。安心したい。
寝過ごしたからって海外から10万自腹切って間に合うように帰ってきてくれて、出張で忙しいのにご飯の場所決めといてくれて、荷物持つよって声掛けてくれて、お泊まりさせてくれて、コンビニで私の分の飲み物も買ってきてくれて、ぎゅってされるのが好きって言ったら起きるまでずっとそうしててくれて。それでも付き合ってと言ってくれないのはどうしてかしら?そしてどうして私はこんなに言葉が欲しいのかしら。
言わなくても分かるでしょが相手のスタンスならば、私はしっかり言葉にして欲しいからそれを受け入れられるかな。私はそれを受け入れられるほどしっかり好きかな。もっと言葉にしてくれる人でもいいんじゃないかって思ってしまう少しだけ。連絡もあまり来ないし。忙しいのは分かるけど、私だったら忙しくても連絡するのにと考えてしまう。遠距離だから尚更。でもこの考えはいけないね、彼は私じゃないからね、私以外私じゃないからね。
彼に会いたいと思ったから会ったし、また会いたいと思う。一緒にいて楽しかったけど少し気は使った。もっと仲を深めてみたい。じゃあまた次の誘いをしてみようかな。いいかな?

魅力的な人になるには

魅力的な人になるにはどうしたらいいんですか?
あけましておめでとうございます。2018、戌年、年女です。
ところで私はある経験から学んだことがあります。それは付き合いは同じレベル同士の物じゃないと続かないってことです。
学生時代の天沢聖司くん(仮)と会って来たんですが、彼は外見は変わらずも、さらに魅力的になっていました。
なんだかんだでまた遊ぶ約束をしたんですが、ウキウキしてしまってこのままだとのめり込みそうです。
ただ、なんで自分なんかとっていう陰の気持ちが。そんな気持ちがあったら次に会ったときに心から楽しめるでしょうか。
そうならないために私も同じくらい魅力的になれればいいと思ったんです。だからこそ今年は私が考えていたことを実行に移す年だと思います。それと夕食の手伝いをしていきたいです。
でもずっと相手に追いつかなきゃ追いつかなきゃって上昇を続けていくのは疲れてしまうと思います。だからやっぱりダラダラできる相手が合ってるんだとそういう結論に…なるの?
じゃあこのウキウキをないがしろにするの?自分がどう考えてどうしたいかだ。
クソみたいに過ごしてきた2年間を取り戻す地点に今立ってんじゃないの?
疑い深いところとか、やる気がないところとか、ダラダラしているところとか本気で直すときなんじゃないの?
もう少しポジティブに、自分を肯定して前を向けるように考えられるようにする。
駆け引きより心の赴くままが理想。考えがごちゃごちゃだ。