4.5畳の部屋から

いつもここでつっ立ってます。

生きるが当たり前か、死が当たり前か

『あなたが何気なく過ごした今日は昨日死んだ人がどうしても生きたかった明日』
たまにみるこの言葉、最初に見たとき意味が分からなかった。旦那はいらないけど子供は欲しいって言葉と同じくらい分からない。何言ってだこいつと。私が過ごした今日とその人がどうしても生きたかった明日は別物だしなんか押し付けがましいしお涙頂戴感を感じてしまって苦手。
訃報を聞くとどうして今この人が亡くならなければならないんだろうと思う時がある。記憶に新しいのは小林麻央さん。
愛する子どもがいてこれからもっと一緒の時間を過ごすのにどうして今彼女なんだろう。そこは私でもいいのに。生きる理由がある彼女となんともない私の明日を交換したくなる。
でも私が逆の立場だったら、だったら変わってくれよって逆ギレしたくなる。偽善ぶってんじゃねーぞと。
そしてこの言葉を考えた人は愛する人を亡くしてどうしてこの人が亡くなってあの人が生きてるんだろうって憤りを感じて、日々を大切に生きて欲しいと思って言ったのかもしれない。
身近な人の死に直面して淡々としてるのは受け入れてるからじゃなく、実感してないからなんだよね。それをよく勘違いしてしまう。
死が来ることは怖いけど、生き続けるのも辛い。だから死が来てくれることは感謝すべきことだって意見もあって、はぁなるほどな〜って。そう思うと少し怖くなくなる。
人生に終わりがあると思うことで人生に張り合いが出る、死んでもあの世で生き続けると思うことで死が少し救われる。
その人の最期のときに関わる仕事をしてるんだって今更実感した今日です。